Artist interview 

 

悲しい時には「同じ気持ちの人がいるよ」と心を撫でてくれ、喜びの時にはさらに嬉しくなるようなリズムをくれる。人生のすべての疲れを流してくれるのが音楽。そしてまだ経験していないことを想像させてくれるのも音楽。

 

 想像を超える美しさをまとい現れたアンナさん。でも近寄り難さはない。短時間でグッと距離を縮めてくださる明るさと優しさは、彼女の「強さ」に由来するのかもしれません。「自分は後でいい、という気持ちをみんなが持てば、世の中はもっと良くなる」という言葉が印象的でした。その場を瞬時にリラックスさせてしまうアンナさんの人柄に、スタッフ一同つい仕事を忘れて終始笑顔に…!

 

土屋 アンナさん


 

アンナさんの音楽のルーツは?

 

 母の影響が大きいです。母がずっと洋楽を聴いていたお陰で、タイトルは言えなくても70~90年代の洋楽はほぼ知っています。自分が好きで聴いていたというよりも、自然に好きになっていました。7月のイベントで歌う『デスペラード』も、イーグルスのファンだった母が聴いていた曲。小学生の頃アース・ウインド&ファイアーなど洋楽のライブによく連れて行ってもらいました。母にはミュージシャンの友だちも多かったので、周りの大人からたくさん良い音楽を教えてもらえる環境でしたね。一緒にカラオケにも行き、今井美樹さんやイルカさんの曲を「歌ってみなさい」なんて言われて(笑)。そのせいか昔の曲が好きです。

 

日常生活や子育てに音楽を取り入れていますか?

 

 もちろん! でも妊娠中含め「子供のため」と思ったことはありません。聴きたい音楽を聴くことで自分がハッピーになり、それが子供に伝わるのが一番イイと思うから。一人目の時はニルヴァーナにハマって、激しい曲ばかり聴いてた(笑)。そうしたら彼は逆にすっごく優しい子に育ちました。でも音楽の好みは幅広くて『アナ雪』を歌ったり、激しい曲も好きみたい。結局、これを聴かないとイイ子にならないなんてことは全くナシ。ただ、幼少期はディズニーの『シング アロング ソング』はおすすめです。クラシックの要素も入っていて、英語も綺麗なので耳が敏感になります。あとは子供達が選ぶ音楽を絶対に否定しない。料理をするときも音楽は常にかけています。動き続けてしまうタイプなので、疲れちゃうんです。でも好きな音楽があれば、毎日のルーティンが辛いものではなくなるし、外の工事の音を聞きながら料理するのと、好きな曲を聴きながらやるのとではまったく違うでしょう?

 

アンナさんの「明るさ」「強さ」はどこから来るのでしょうか。

 

 一番はおばあちゃんかな。先日も一緒に食事した時に戦争の話をしてくれました。それに比べたら私の経験なんてへでもない(笑)。いつもさらっと「爆弾が降ってきた時にね」なんて話をする。それを10代で経験しているんですよ。それなのにめっちゃ明るい。東日本大震災の直後に心配して「大丈夫?」と連絡したら「何が? 大丈夫にしとかなきゃダメでしょ。ダメなときはダメなんだから。」と。7人兄弟、みんな火事で失ってるんです。普通に食べられて普通に生きていることは普通じゃない、と私も子供達によく話します。ご飯食べないとか言われるとブチ切れますね(笑)。

 

八ヶ岳で行われるイベントのおすすめポイントを教えてください。

 

 私たちの世代は、ライブといえば会場に足を運んで生で観て聴くのが主流でした。人間同士の熱意がぶつかり合い、お互いの呼吸を感じられるのは、生ならでは。特に今回のイベントは、ちょっと渋谷までというのとは違い、自然豊かな土地で美味しいものを食べて素敵なホテルに宿泊し音楽も聴ける大人の企画。旅の間は、それぞれが抱える日常を忘れて楽しんでいただけたらと思います。ジャンルを超えていろいろな音楽に触れられるのもおすすめポイント。今はネット配信で好きな曲だけを聴く人が多いけれど「1枚のアルバムを聴きに行こうかな」というような感覚で来て欲しい。そして一曲でも自分の心にフィットする曲を見つけてもらえたら嬉しいです。参加者同士がお友達になれるのもツアーの醍醐味。バス旅行に申し込む要領で気軽に参加して下さいね!

 

(取材・文 花摘マリ)


Artist interview 

 

 

やらされているものはひとつもない。

最終的に納得して消化できたものだけを正直に発信し続けているから健康で健全な「自分自身」でいられるのだと思う。

 

 

 

取材までの日々、彼女のコラムや動画から「akiko像」を掴もうとしましたが、それぞれが別人のようで結局特定のイメージがないまま約束の日を迎えることに。実際にお会いして、その多面性と自然体に戸惑いました。音楽一家の生まれではなく「大学時代にたまたま歌ってみたのが始まり」というのも意外です。シンガーという枠にまったく収まらない彼女の広い世界に魅了され、まるで旅をしたかのようなひとときでした。

 

akikoさん


 

アルバム『Elemental Harmony』のコンセプトについて聞かせてください。

 

 人を含めた世界は「土・水・火・風・空」の5つのエレメントで構成されるというアーユルヴェーダの考え方を元にしています。それぞれに対応した5枚のディスクから、その日の状態や気分に合わせて音楽を選べるというのがコンセプト。例えば、梅雨の時期に気分がジメッとしたり、最近なぜか涙もろいとか、流されやすい…なんてことありますよね。そういうときは「水」の要素が増え過ぎている状態なので、「水」のディスクがおすすめです。アーユルヴェーダでは、異質なものを取り入れることで崩れたバランスを元に戻すのですが、このアルバムはまず同質のものでその気分に浸ってみて、徐々に良い状態になれるよう構成しました。失恋して泣いている人に、カラッとした曲ばかり聴かせて「元気出して!」というのは違うなと。選曲や曲順に関しては、監修の西川眞知子先生と随分話し合いました。個人的には「空」が好きで、瞑想しながら自分を見つめ直す時などに聴いています。「空」は仏教の色即是空に似た「何もないけど全てがある」という概念です。

 

アーユルヴェーダは哲学的なんですね。

 

 オイルマッサージのイメージが強く、エステや美容目的と認識している方が多いかもしれませんが、それはほんの一面で、もっとホリスティック(包括的)なものです。一言でいうと「幸せに毎日を暮らしていくための知恵」。自分はこういう人だ、と決めつけたりジャッジしたりするのではなく「いま自分はこういう状態にある」とあくまで観察する。自分を客観的に見る練習です。私も若い頃はそれができず、いろいろなことが許せなかった(笑)。今思えば「火」の要素が増え過ぎていたんでしょうね。

 

ホリスティックな考え方は、akikoさんの音楽活動の根底にも流れているように感じます。

 

 私が10代の頃は、ロカビリーやモッズやパンクなどその時代の音楽もファッションもカルチャーも好きで影響を受けている人が周りにたくさんいたし、自分自身もそうでした。私にとって音楽とファッションは常に結びついていて、音楽だけでなくCDジャケットやフライヤーも、その世界観を表現するものにしたいと思っています。ジャケットの撮影をする時に、自分の着る服や帽子のデザインからすることもあります。ジャズも当初はファッショナブルなものであったと思うのですが、私が歌い始めた頃はすでにファッションとはかけ離れていて、そのことに違和感を覚えました。ロングドレスと豪華なジュエリーを身につけ歌うのがジャズシンガーという「こうあるべき」が強くて。当時はそんな押し付けのスタイルに反発していましたが、いまは表現したい世界観に合わせ、あえて取り入れることもあります。

 

最後に読者へのメッセージをお願いします。

 

 今回のように音楽以外の部分の話をしたり、想いを伝える機会があるのは幸せです。今後も、各種ワークショップや他ジャンルの方々との異業種コラボ等で発信し続けられたら素敵ですよね。3/3には音楽とアートのスペシャルなイベントも予定しているので、ぜひ遊びに来てください。

 

(取材 花摘麻理)


Artist interview 

 

宗教的な縛りがない日本人だからこそ歌えるゴスペルがある。

神様を敬い、言葉に宿る「言霊」を信じる私たちだから歌える歌。

「和」を重んじるこの国から、新しいゴスペルを世界に発信し続けます。

 

挫折や葛藤と向き合いながらも、着実に自身の目指すものを築き広めてきたJennaさん。アーティストとして、経営者として、途上国を支え続ける活動家として、そして小学生の息子さんの子育てに悩む一人のお母さんとして。いくつもの役割をさらりとこなす姿の奥には、柔らかな雰囲気からは想像もできない、強い意志と情熱がありました。

 

Jenna -ジェンナ-さん


 

ゴスペルとの出会いはいつ頃だったのでしょう。

 

 15歳のときに、アメリカの高校が舞台の映画『天使にラブソングを2』を観て、仲間と一緒に歌う楽しさに目覚めました。部活を立ち上げ、その最後のステージを聴いた保護者の一人が教会関係者だったことがご縁となり、米軍基地のゴスペル聖歌隊に入ったのがきっかけです。

 

ゴスペル×国際協力というスタイルが生まれたのはなぜですか?

 

 若い頃ボランティアで1ヶ月間アフリカに滞在しました。きれいな水も電気もなく、学校にもなかなか行けず、街へ出ても仕事がない。日本に生まれた私たちがどれだけ恵まれているかを肌で感じました。旅しながら触れ合った現地の人々の力になりたくて、最初はただ寄付を募っていましたが、それではなかなかうまくいかず、音楽と結びつけることを思いつきました。以来「楽しい時間のために使ったお金が、別の場所で大きな力になる」というコンセプトのもと、イベントやメンバー会費で集まったお金で支援活動を続けています。

 

アルバムがビルボードのゴスペルチャートで第3位を記録し、ドーブ賞にもノミネートされましたね。

 

 JAPAN MASS CHOIRという企画で、日本のゴスペルシーンをひとつにし世界に発信する活動をしています。1000人の参加者によるデビューCD「POWERFUL」には多くのゴスペル講師も参加しました。普段は悩みや相談ごとをシェアする場の少ない講師たちが交流できる良い機会にもなりました。レコーディングは丸2日間ホールを借り切って行いました。その後アメリカ公演ツアーを5回実施しました。大変な企画ですが、グループの垣根を超えた関係は素晴らしい財産です。

 

「日本人だからこそ歌えるゴスペル」とは?

 

 日本のゴスペルシーンは、クリスチャンでない人が大半を占めるという珍しい世界です。ゴスペルといえばアメリカが本物で、日本人はそれを習い、ただマネをするというムードがありますが、私は、どんな宗教の人とも仲良く歌える日本の「和」の心こそ世界に発信していくべきものだと思っています。それは、黒人教会で体験した葛藤や疑問から生まれた想いです。

 伝道活動に直結したゴスペルに、多くの日本人が離れていくのを目の当たりにしました。私はクリスチャンですが、信仰を押し付けることには反対です。「どんな人でも気軽に参加できるゴスペル」をやりたいんです。

 

今後の展望や、読者へのメッセージをお願いします。

 

 私が指導するゴスペルスクエアの活動拠点は、カルチャー発信の最先端であり、アクセスしやすい渋谷という地にこだわりました。これまでの宗教音楽とも単なるボイトレとも違う、日本人ならではの新しいゴスペルのカルチャーを発信したいという思いからです。たとえば、いまでは誰もが気軽に楽しんでいるヨガも、本来は宗教と深く結びついています。でも「ヨガ=宗教」と思う人はいませんよね。それでも単なるフィットネスとは違い、やはりスピリチュアルな要素があってこそのヨガです。ゴスペルもそのように、誰もが気軽に楽しめるものでありながら、歌えば心が浄化される! そんな歌として、広く浸透していったら嬉しいです。ぜひ一度、体験しにいらしてください!

 

(取材 花摘麻理)


Artist interview 

 

個性バラバラなサムライ4人が集まり「鱧人」になる。

僕らにとって「鱧人」は「生きててよかった」と思えるご褒美の世界。

それぞれのフィールドで培ってきたものをぶつけたら何ができるかという期待感を、

誰よりも楽しんでいるのは自分たち自身。

 

結成秘話や活動の様子からは、実力と自信に裏付けられたユルさと、本物たる所以であるストイックさが伺える。今回はスケジュールの都合上、普段はもっぱら「聞き役」という2人へのインタビューだったが、そうとは思えない巧みな話術に、いつしか時の経つのも忘れて引き込まれた。

 

鱧人-HamojiN-


 

「鱧人」というグループ名、インパクトがありますね。

 

矢幅 アルファベット表記のグループが多いなか、サムライ魂を持つ4人だし、みんな日本酒と魚が好きということで。

KAI コーラスグループを連想させる何かも欲しくて、ハーモニーと「鱧」をかけました。みんなで露天風呂にざぶ〜んと浸かった瞬間に生まれた名前です。

 

それぞれソロで活動している4人が、なぜ「鱧人」を結成することになったのでしょうか?

 

矢幅 僕のライブにゲスト出演してもらった時の打ち上げが、とにかく楽しかった。一緒に活動すれば、一緒に飲む機会も増えるんじゃない? と結成!

KAI この4人は間合い、つまり空気の読み方が合うんです。以前、共演したフランスのミュージシャンに「君たちの素晴らしさは、それぞれが輝いていることだ。各々自由にやっているのに、それが合わさって一つの音楽になるところがすごい」と言われました。

矢幅 普通、ソロアーティストが集まるとエゴのぶつかり合いになりがちだけどね。僕たちは主張し合わなくてもそこにただ「いる」ことができるんです。

KAI 個人の活動が基盤で、ご褒美として「鱧人」がある。ガツガツしていないんだろうね。

矢幅 4人が全く違うフィールドで活動しているので、毎回集まるごとに話題が新鮮です。アイデアを持ち寄って、曲をみんなで仕上げていく作業も楽しいよね。

 

本日の取材場所「ライブハウスKIWA」は「鱧人」にとって大切な場所とのことですが。

 

矢幅 このステージでファースト・アルバムをレコーディングしました。1週間くらいかけてパートごとにスタジオ録音するのが当たり前の時代に、コンセプトは「1発録り」。それでしか実現しえない温かみとグルーヴ感が出せたと思います。

KAI 修正しているが故の、リズムもピッチも正確な音楽が世の中には溢れていますが、僕たちは時代に逆行しながらも、世に問える作品を作れたんじゃないかな。参加してくださった金森祥之さん(KIWAを運営するオアシスの代表)は知る人ぞ知る音響界の重鎮。僕たちは曲を作って歌う「インプット」担当で、それをいかにお客さんに届けるかという「アウトプット」を彼が担ってくれている。アウトプット次第でステージは全く違うものになりますから、金森さんもやっぱりアーティストなんです。

矢幅 金森さんとは、レコーディング前に綿密な打ち合わせをして、誰にどのマイクが合うのかという実験もしました。様々なモデルを並べてひとつずつ試し、メンバーごとに違うマイクを使っています。各自のコンディションややりたいことも常に変化していくので、マイクやスピーカー選びを含め、音作りには終わりがありません。まだまだ始まったばかりです。

 

結成2周年記念ライブ@モーションブルー・ヨコハマの見どころは?

 

矢幅 5〜6人のアカペラグループが主流の中、楽器もなく最小編成の4人。しかもアレンジによっては1人や2人で歌うセクションもあるので、そこは見どころの一つです。

KAI 常にギリギリという(笑)。

矢幅 全ては「ちゃんとお酒を楽しむ」ためです!

KAI 僕の感覚では、ステージの上がすでに「飲み会」みたいな感じ。

矢幅 それは言い得て妙だわ。お客さんも一緒に楽しんでもらいたいね。

 

(取材・文 花摘麻理)


Artist interview 

 

自身を大きな木にたとえると

幹は「歌を歌う私」

幹が健やかでないと枝も葉も花も枯れてしまう 

 

M3!の読者なら『飛んでイスタンブール』という曲に懐かしい想い出を重ねる人も多いのでは。私もその一人なので取材当日は緊張と期待でドキドキ…。

ところが目の前に現れたのは、瞬間的に周囲をリラックスさせるオーラをまとい、終始しなやかで自然体な庄野真代さん。ドキドキがワクワクに変わり、楽しいおしゃべりがスタートしました♪

 

庄野 真代さん


 

 幼少期からデビューまではどのような道のりだったのでしょうか?

 

「6歳の6月6日に習い事を始めると上達するから」と、叔父がオルガンを買ってくれたのが音楽との出会いです。それまでも、流しのギター弾きに憧れていた父の演奏を聴いてはいましたが、古賀政男さんの曲オンリーと、やや偏っていまして(笑)。小学校4年生からはピアノに転向しましたが、周囲が音大に行くために音楽をやる人ばかりなことに違和感を覚え始め、中2で辞めました。音楽は受験のためにするものなの? と子供ながらに思ったんです。

 高校ではフォークバンドに入りました。でも3年生になると受験を理由に一人また一人と抜けて行き…。バンドがデュオになり、最後はソロになっちゃって!

 その後、ヤマハタレントオーディションに合格し、上京して寮生活をしながらレッスンを受ける日々を送ります。でも恵まれすぎた生活に疑問を感じ、20歳で実家のある大阪に戻りました。でも歌を辞める前、最後と決めてチャレンジした「フォーク音楽祭」の関西四国決勝大会でグランプリを頂き、全国大会の帰り道にレコード会社の方に「アルバムを作りませんか?」と声をかけられました。「デビューしませんか?」だったら惹かれなかったのですが、アルバム作りなら音楽をやってきた「証」になる! とお受けしたのがデビューのきっかけです。

 

『飛んでイスタンブール』のヒットで生活や気持ちの変化はありましたか?

 

 いいえ。私は何も変わらず歌を歌い続けていました。ただ、スタッフさんたちはますます頑張ろう! と盛り上がってくれて。とても嬉しかったです。

 その頃よく思い出したのが、ヤマハ時代の先生の教え。レッスン中に私が窓の外の景色に気を取られていると、先生はピアノの手をピタリと止めました。心の動きが丸見えだったのでしょう。先生からは、目には見えないけれど心の中にある風景、感情をいかにコントロールするか、など大切なことを教わりました。それが私の歌の原点かもしれません。

 状況が変わっても自分のスタンスはずっと変わらず、世界一周の旅などやりたかったことを一つずつやっていきました。大学や大学院での勉強、海外留学、最近では調理師免許を取ったり、アメリカでジェロントロジー(人間の老化現象を総合的に研究する学問・加齢学)のコースを修了したりと興味の赴くままに(笑)。

 

現在の活動や、今後のことについて教えてください。

 

 いろいろやっているように見える私ですが、核にあるのは歌うこと。自分を木にたとえるなら、歌う私が「幹」で、その他のことは枝や葉や花です。幹に栄養を与え続けることで、木全体が健やかでいられます。私の歌を聴いてくださった方が、いい時間だったなと思ってくれたら最高に幸せ。混じりっけのない、人の心に感じ入るような歌を、言葉を大切にしながら歌い続けたいです。私がオーナーをつとめるお店『コムカフェ音倉』では「倉で逢いましょう」というイベントを定期的に開催しています。イベントは「アンチエイジング」ならぬ「アクティブエイジング」の講座など、元気な暮らしを実現するヒントが満載なので、ぜひ一度遊びに来てくださいね。

※本誌vol.7 14ページで『コムカフェ音倉』についてご紹介しています

 

(取材・文 花摘麻理)


Artist interview 

 

お金を払って来てくれるお客様、

そこを意識しないといけないと思う。 

 

中西雅世と西高志によって2005年に結成された、ヴォーカル・デュオ・ユニット[AIR]。緻密なハーモナイズによる洗練されたサウンドと、お洒落で楽しく、ゴージャスなステージは、「大人のための心地よいJAZZ」として話題となり、現在全国のホテル、ディナーショー、ジャズクラブ等に多数出演中。

 

AIR(エアー)さん


 

ジャズとの出会いを教えていただけますか?

 

西/最初はクラシックを聴いていたんです、小学生の頃ね。そこからヘンリー・マンシーニとかの映画音楽にいって。で、中学になってハービー・マンに出会って、体中に電気が走って、「これしかない!」と思ったんです。僕も小学5年生から同じフルートやってたので。リアルタイムでビートルズが台頭してきてましたけど、僕にはビル・エヴァンスの方がしっくりきたわけです。

 

中西/私は大学の軽音楽部に入って、行きがかりでジャズを始めたんです。高校の時はね、ディープ・パープルとかレッド・ツェッペリンなんかのコピーバンドでベース弾いてたんです。ロックが大好きだったの。その軽音楽部は人数が少なくて、ロック研とジャズ研が一緒だったんですけど、ジャズ研の色が濃くて「ピアノ弾ける人?」「はい!」って手を挙げてしまって、それでこの世界に入ることになったんです。

 

そんなお二人が[AIR]というデュオを結成するわけですけど、その辺のいきさつというのは?

 

中西/レコーディングとかテレビ番組、アイドルのバックコーラスなんかの仕事の他に、ピアノの弾き語りでライブハウスにも出てたんです。その同じお店に彼も違う日に出てたんですよね。

 

西/僕は某大手商社でサラリーマンをやりながら二足のわらじで音楽活動をしてたんです。もともと音楽に身を寄せて生きていきたいと思ってたんですけどね、商社の仕事がどんどんおもしろくなっちゃって。けっこう重要なポストも任されるようになって、辞めるに辞められなくなったんです。でも音楽は続けてて、そうした中でライブハウスのオーナーから「おもしろそうだから二人でやってみたら」と勧められて、AIRを結成したんです。僕がヴォーカル・パーカッション、彼女がヴォーカル・ピアノというスタイルのデュオは他にいないと思うので、そこが大きな特徴ですね。ライブではお客様の反応を見てその場でセットリストを変えることもあります。この曲ウケたからこれもいいだろうってね。弾き語りというスタイルだから臨機応変にできるのだと思います。

 

今年、新しいアルバムをリリースしました。

 

中西/「THE OTHER SIDE」。AIRとして4枚目になります。スティングやギルバート・オサリバンの曲を選曲したり、かなりポップス色の強いアルバムに仕上がっています。1曲からダウンロードできるので、ぜひ聴いてみてください。

 

西/アルバムも聴いていただきたいですが、やっぱりライブで僕たちの音楽を聴いてもらって、また行ってみようかな、また聴いてみたいな、と、そういう人がだんだん増えたらうれしいですね。

 

(編集部より)

 

 New York Voicesのメンバーに「ジャッキー&ロイの再来」と絶賛されたり、ジャズサイトの草分け「Jazz Page」の人気投票で、ヴォーカル・グループ部門第2位を受賞したり、はたまた2014年には東京ドームの開幕戦で「君が代」を斉唱するなど、多方面で走り続けるAIRのお二人。今後も目が離せません。


Artist interview 

 

自分から動こうとしないまま、まぐれを

狙っているような人はプロじゃない!

 

1996年に解散したPSY・S(サイズ)のヴォーカルとして勇名を馳せたCHAKAさん。解散後は、PSY・S以前から活動していたジャズのフィールドで活動再開、と思いきやジャズだけにとどまらず、大学の先生や英語の発音指導士など多種多様なジャンルでご活躍中。見た目と同様エキサイティングに語っていただきました。

 

CHAKA(チャカ)さん


 

メジャーデビューに至る経緯を教えてもらえますか

 

 大阪時代は色んなライブ・スポットで歌ってたんですけど、英語でしか歌わない、英語でしかMCしない、そんな無理くりなヴォーカリストで、でもね、その頃を知ってる人は「すごい人だったよ~」って言ってますよ。ローカルではちょっとは知られてたんです。もう音楽で食べていくってことしか考えてなかったですね。ところがね、ウチのお父さんはジャズピアニストなんだけど私が音楽やることに物凄く反対だったの。学問の方やれって。でも自分は音楽しか考えられなかったし、なんとかお父さんから逃れたくって、そんな時にPSY・Sでメジャーデビューの話しがあって、その話を受ければ逃れられるやんって、で東京に出てきたんです。

 それまであんまり深いことを考えてなかった自分が、歌った瞬間「あれあれ?」って歌手がいて、なのに私より仕事がたくさんあって人気があるのはなぜだろうかっていうことを考えられるようになったのはメジャーデビューしたおかげですね。

 

ソロになってからは主にどういった活動を?

 

 洗足学園音楽大学のジャズ科で先生やってるでしょ、それと英語の発音指導士って日本にまだ17名しかいないんですけど、その免許も取って大学とかPCで教えてます。それからサルサスインゴサなんかのライブイベントにヴォーカリストとして呼んでもらったり。サルサスインゴサでは2016年に韓国のソウルジャズフェスに参加させてもらいました。あとロシアでもジャズ歌ってきて、もうみんなノリノリで楽しかった~。ソロのライブは月に3~4本できればいい方かな。

 こう聞くといろんなことができる人なんだなーって思うでしょ? 全然そうじゃないんです。興味があるのは歌と英語と香水と格闘技、この4つだけ。他のことが何もできない、下手するとまともにゴミ出しもできない。でもね、コレだ!ってものを見つけたら3ヶ月で評論家と話せるレベルになるんです。北海道から九州までの駅名を全部言える小学生とかいるでしょ、あんな感じですわ。

 

ヴォーカリストを志す人へメッセージを!

 

 必ずこうするっていう自分のイメージを決めること、結果をイメージする力がなければ毎日毎日迷いますよ。夕飯に何作るかイメージしないでスーパーに行ったらたいへんなことになるでしょ。それと、シンプルに考えること。あとね、歌のレッスンより辛いみたいなんだけど、自分にとってマイナスになるようなことは言わないというレッスン。

 お金をケチってはいけません。過去にやったことのある人にアドバイスを求めるとするでしょ、それには多少お金と時間がかかりますよ。使う時は使わないと。で、99%は練習です。東大に受かるにはそれだけの点数を取らなきゃでしょ。それと同じで、歌もお客さんに喜んでもらえて、共演者にもまた呼んでもらえる歌を歌うには、それだけの点数を取らないとなんです。そのためには練習しかないんです。

 

今後どうしたいというようなことがありましたら…。 

 

歌と英語の学校みたいなことがやれたらいいなと思ってるんです。授業料もめっちゃ安くて何回来ても同じ料金。スティービー・ワンダーにしろルイ・アームストロングにしろビリー・ホリデイにしろ、どこかのスクールでああなった訳じゃないけど、それでも習うことは大切だと思う。ただ、「CHAKAさんの生徒さんでしょ」と言われる人にはしたくない。一番の理想は「あなた歌習った事あるんだ!」と聞かれるような人を育てたい。そうして、若い人が素晴らしい歌を歌って、いろんな人に伝えていければ、日本がすこしは楽しくなるんじゃないかなって思うんです。